アイスランド人は季節を問わず、天候の許すかぎり自然の中を散歩するのが好きです。冬にはレイキャヴィークの近郊を、鼻の頭や頬を赤くして白い息を吐きながら、犬の散歩や散策をしている人たちをよく見かけます。雪がある程度積もっているときには、子供をそりに乗せて引っ張っている親子連れも目にすることがあります。乗馬を好む人は、寒い中も背筋をしゃきっと伸ばして、見ているこちらも姿勢を正してしまうほど。厳寒に雪山や氷河に訪れるハードなアウトドア派も中にはいますが、これはよほど訓練を受けた人たちか、もしくはそのような訓練を受けた山岳ガイドを同行したツアーに参加する人たちくらい。自然大好きのアイスランド人でも、さすがに冬のアドベンチャー派は少数です。

しかし5月にもなりますと、待ちに待った春に呼ばれるかのように、普通のアイスランド人たちも山や溶岩台地にトレッキングやハイキングに繰り出します。この時期はまだ内陸部は通行止めなので、どちらかというとレイキャヴィークの近郊や車で1~2時間の近場が多いようです。子供たちの遠足もこの季節が一番多いでしょうか。3歳の息子の幼稚園の遠足に駆り出されて同行しましたが、毎年こちらの幼稚園はレイキャヴィークから車で40分くらい離れた「クジラの湾」にある農場を訪問します。5月は子羊の生まれる月ですので、農場ではたくさんの子羊を見ることができました。しかも羊小屋の中では、まさに子羊の生まれるその瞬間に立ち会ってしまいました!あいにく、息子は小屋のにおいに耐えられず、鼻をつまんで「くさい~」を連発しながら表に出ており、決定的瞬間を逃してしまいましたが。

6月から8月は、アイスランドの本格的なトレッキングシーズンです。いわゆるアイスランドの“夏”もこの時期で、アイスランド人ばかりではなく、多くの自然愛好家の外国人観光客も車やツアーバスで内陸部へ乗り込んでいきます。

先日わたしも陽気に誘われ、またドイツからやってきた友人にアイスランドのハイキングを楽しんでもらうため、レイキャヴィークから車で40分ほどの近郊のクヴェラゲルジ(日本語訳:温泉の庭)に行きました。クヴェラゲルジはアイスランドでも有数の高温度地熱地帯に位置した、地熱で野菜や 植物を温室栽培している人口約2300人の小さな村です。すぐ近くには、2006年に始動し始めたヘトリスヘイジ地熱発電所もあります。こちらは人口の増えたレイキャヴィークに暖房用と家庭用の温水、また電気を供給しています。(部分的には予定)

レイキャヴィークからヘトリスヘイジを抜けて、クヴェラゲルジにやってくると、途中で地表から蒸気がもうもうと出ている光景にたくさんぶつかります。クヴェラゲルジ一帯が、2008年5月から連続して起こった「南アイスランド地震」の影響で、ここ数年さらに地熱活動が活発になっているのですね。5月29 日に起こったセルフォスの南西を震源地とした地震は、震度6,1(リヒター)を記録しました。その後6月にも震度3,2の規模の地震がクヴェラゲルジで観 測されています。それら一連の地震が原因で地割れが起こり、そこから温泉が湧き出るようになりましたが、アイスランドではさして珍しいことでもありません。温泉が出た場所が、ちょうどクヴェラゲルジでは “たくさん” の木が生えている場所だったそうで、お湯のせいでこの “森” が枯れてしまうのは時間の問題ということでした。源泉の発見よりも、森の枯死のほうが、アイスランド人のとっては重大なできごとなのです。

ここ最近こちらのクヴェラゲルジでトレッキングをするのが流行になっておりましたので、わたしも友人をここに誘いました。現地のインフォメーションセンターの話では、そのコースには自然の温泉が流れる川があるそうで温泉に浸かれる、しかもそこまでのトレッキングは往復3時間ということで、距離からしても理想的なものでした。「温泉」という言葉に弱い日本人の例に洩れず、わたしも大変期待をして、トレッキングを始めました。

お湯の成分のためか、山の色も独特です。また登り口では、熱湯がどんどん湧き出ています。手を入れるまでもなく、熱気でお湯が沸点を超えていることはすぐに分かりました。温泉独特の硫黄のにおいも鼻につきます。初めてアイスランドに来た友人もこの光景には感動をしている様子でした。

山道は多少の勾配こそあれ、全体的には難しいコースではありません。しかしながら、歩く目印は地面に打ち込んである小さな杭だけですので、人が踏み歩いた道かどうかを同時に確かめながら進んでいきました。アイスランドの自然観光の良さは、柵やロープが張り巡らされていないで、自然の中にそのまま人が入っていくというスタンスを取っているところです。その分個人の自然への責任や、また事故に結びつかないように自分自身の安全の責任が問われるわけですが、そこはみなそれぞれ自覚をしなければなりません。ところどころ斜面が険しく、落ちたら大変だと思われる個所がいくつかありましたが、そこも無事通過。歩けば歩いた分だけ景色が変わっていく素晴らしさは、アイスランドの山歩きの醍醐味です。高山植物も少しずつ咲き始め、野外にも苔以外の緑が萌えだし、生命の息吹をいたるところで感じました。出発した時間16時と遅かったので、風も比較的冷たかったのですが、歩いている間に体は温まり、ちょうどいい案配になりました。

途中で目にしたいくつかの滝のすばらしいこと。初めの滝は、人の手で作られても、こんなにリズム感のあふれる滝にはならないだろうと思われるほどの、絶妙な段。2番目の滝は遠めから見たのですが、実際はかなり大きな滝に思われます。歩いていて急に目に飛び込んできた光景でしたので、その美しさに驚嘆しました。自然の造形には調和があります。すべてのものが、ある法則に従って、あるべき場所にあるべき形で収まっているのですね。無駄がなく、饒舌でもない。それは人間のつくる建築物との一番の違いのような気がします。

そして目指していた川が見えてきました。草の生えた平地にゆるやかなカーブを描いた小川が流れています。静謐な空間のなかで、鳥のさえずる声と水のせせらぎだけが、心地よく耳に響きます。周りには他に人はいず、この自然をわたしたちは独り占めをしています。本当になんというぜいたく!

わたしたちはすぐに靴下を脱いで、川のお湯に足を浸しました。近くに源泉があり、お湯の温度は時と箇所によって差があるものの、およそ40~43度。川下に行けばさらに水温は下がって36~37度くらいになります。あいにく水着の用意がなかったので、足だけ浸かりましたが、とても気持ちがいい!

今でこそ地熱がさかんに活用され、水力も含めると国内供給分のエネルギーは十分あると考えられているアイスランドですが、地熱を活用できる技術がなかった昔にここに来れば、温かく入浴することも可能だったでしょうし、寒さに手荒れをして洗濯をせずに済んだはずことでしょう。例えばレイキャヴィーク市の目抜き通りはロイガヴェーグルという名前ですが、"Laugar" は「温泉」と意味しますので、この通りは「温泉通り」という訳ができます。以前、女性たちが市内から歩いて20~30分の温泉の湧き出る Laugardalur(温泉の谷)に洗濯をしに、歩いてここを通っていたことに由来しているのです。

川の向こう側の山をぐるっと一周すれば、さらに3時間のハイキングができるという話でしたが、この日はこの川を境に引き返して村に戻ることにしました。途中放牧されている羊たちを目にしました。友人が目を丸くして「こんなところまで羊がやってくるんだ~」と笑ったのが印象的でした。

アイスランドの大自然の恵みが存分に味わえた3時間でした。

(2009年5月)

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