北欧の高い生活・文化水準を誇るアイスランドの首都レイキャヴィークに欠けているもの ― それが何かお分かりでしょうか?国内でしか通用しない実力のサッカーチームにはもったいないほどのサッカー場、国民の数からすると多すぎる屋内・屋外競技 場や温泉プール、建設当初から必要ないと言われていた2つの大きなショッピングモール、そんなものなら揃っています。国内と国際に分かれて不便と言われている空港もありますし、ほぼ隣接して建っているライバル同士の国立と私立の大学も街中にあります。身丈にあった国会議事堂もあれば、完成にほぼ50年か かった、丘の上に聳え立っているハトルグリムス教会もあります。小じんまりとした国立と市立の美術館も市内に点在しています。見たところ、欠けているものはなさそうです。
しかし1999年以前にアイスランド人に尋ねていたら、みな口を揃えてこう言ったことでしょう ― 「アイスランドに欠けているもの、そりゃ、音楽ホールだろう。映画館を兼ねているからね、あれは何とかしないと」。

自称『文化都市』を誇示するレイキャヴィーク市民にとっては、音楽ホールの欠如は指摘されたくない欠陥でした。これまでの行政のいろいろな無駄と浪費を考えると、唯一効率的ではあった映画館=臨時の音楽ホール=大学の講堂。レイキャヴィークが北欧のド田舎だった時代はそれでもよかったのかもしれませんが、1999年ごろの経済の自由化を境に、国民の意識も、また国際交流への意欲も変わっていったのですね。アイスランドの目が昔以上に、ヨーロッパや他の北欧諸国を意識するようになったとでも言えばいいでしょうか。音楽ホールの建設のアイディアは、レイキャヴィークの港地区の再開発と密接に関わり合いながら、アイスランド国民の意識の中に現実可能なものとして、育まれていったのです。
音楽ホール建設の実現化が加速され始めたのが、アイスランドの金融自由化が進んだ2004年でした。音楽ホールのアイディアを募ったコンテストが官民提 携事業の一環として計画されると、デンマーク・アイスランドとノルウェー、ドイツ、フランスを含めた4つの官と民の共同事業チームからの案が出されまし た。

(左)レイキャヴィークの新しい名所、待望の音楽ホール「ハルパ」の外観
(右)オーラーブル・エリアスソンがデザインしたファサード

最終的には設計を担当する名誉を授かったのはポルトスグループという、数社からなる音楽ホール設計プロジェクトのために作られたアイスランドとデンマーク の合弁会社でした。ホールの外観のデザインをデンマーク・アイスランド国籍のアーティスト、オーラーブル・エリアスソンが担当し、デンマークのヘニング・ ラルセン設計事務所が設計を受け持ちました。実際の建築作業を担当するために、アイスランドの設計事務所や建築請負会社も参加をしていますが、事業のスポ ンサーとして後ろに控えていたのが、アイスランドの3大銀行の一つのランズバンキでした。

この会社を作った背景は、至って明快です。アイスランドアーティスト+北欧テイスト+アイスランドの銀行=音楽ホールです。その当時政治に強力な影響力があり、莫大な金を動かしている(と思われていた)ランズバンキが画策しているのです。カネと権力とコネの癒着が野心的なプロジェクトの遂行に垣間見えるのは、国の大きさに関わらず世界中どこでも同じようですね。
オーラーブル・エリアスソンは、世界中で活躍しているアイスランドの新鋭アーティストなので、アイスランド人の身びいきは当然のことでしょう。数年前に彼がルイヴィトンのショーウィンドウをデコレーションしたことは、日本人の記憶にも新しいのではないでしょうか。アイスランドの音楽と言えば『ビョーク』であるように、アイスランドのアーティストならば『オーラーブル・エリアスソン』という感じなのでしょう。
2005年には音楽ホールの内部設計が決まり、音楽ホールを中心とした町一角のコンプレックスに関する壮大な案が出されます。こちらのウェブサイトを見ると、原案のアイディアの大きさが良く分かります。

ハルパの内部
(左)3階から見たファサード内部
(中)ハルパの1階。ファサードを中から見ると、鏡のようになっていてユニーク
(右)階段の奥が3階、手前が2階。下に見えているのが1階のカフェ

この頃はアイスランドの経済も上向きで、株価は上昇し、アイスランドの国中いたるところにクレーンがそびえ立っているような建設ラッシュでした。バブル経 済の最潮期に突入しかかっていたのです。ホテルやランズバンキのメインビル、または芸術大学までこの一角に集めようとしたその構想は、果てしなくバブルの 強気を感じさせます。バブルが面白いのは、普段ならば理性が先に立って尻ごみしてしまいそうなことを、盲目に過信して、後先なく遂行してしまうところにあ ります。やはりこういう無謀な思い切りのよさがないと、モニュメント的な大きな建築物は生まれないものなのかもしれません。
アイスランドの国とレイキャヴィーク市が音頭を取り、そしてランズバンキが資金を調達して、2007年に建築が始まりました。そしてその翌年の2008年10月。アイスランドの経済が一夜にして崩壊したのです。それはあたかも、空高く舞い上がった直後に燃料がないことに気が付いて、直滑降で落ちていくジェット機のようでした。まずはランズバンキが破綻し、その後建築請負会社が倒産。それらを受けて音楽ホールを請け負っていたポルトスグループも空中分解 してしまいます。
2008年10月から2009年3月までは建設自体が完全にストップしてしまいます。建設途中の音楽ホールは、大きな生き物の残骸のようにレイキャヴィークの港に横たわり、それを目にするアイスランド人に苦々しい思いを味わせることになりました。音楽ホールはバブル経済に舞い上がったアイスランド人の愚かさを象徴する建物になってしまったのです。もっと小さなコンサートホールに縮小したらいいというものから、建物を全部取り払ってしまえという過激な意見さえありました。

2009年、未完成のハルパ。建設が中断しプロジェクトの遂行が危ぶまれた時期

しかしながら、計画は頓挫しませんでした。金融危機の真っ最中に建設続行が宣言されると、国中からは一斉に非難の声が上がりました。ポルトスグループが破 綻した後、このプロジェクトの企画と遂行を一身に引き受けたのは、国家とレイキャヴィーク市です。アイスランドクローネの暴落、物価の急上昇、返済不可能 なローン、アイスランド歴史上まれにみる高失業率。国民が直面するこれらの問題に国家や市の予算を使わないで、建物に使うとは何事かという訳です。国は金融危機後に従来の税金を引き上げ、さらに新たな新しい税金を導入している始末です。国は建設関係の雇用を増やして、失業率を押し下げようとしましたが、そ れも目論見通りにいかず、建設コストを下げるために、逆に人件費の安い外国人労働者を使うありさまでした。
しかしながらも、その後建設は進み、2009年12月には公募で集まった1000通の中から、ハルパという名前が音楽ホールに選ばれます。これは、アイスランドの10歳の女の子の名前にちなんでつけられたもののですが、名前自体は同時にアイスランド語で楽器のハープを意味します。
後日、外観に使うファサードに欠陥があることが分かり、注文先の中国の会社と揉める一悶着があったり、完成間際になって建物の一部に有害な物質が含まれ ていることが判明し、至急撤去したり、いろいろなハプニングはありました。しかし一番大きなハプニングは、当時算出していた経費よりも、実際のコストが何 と2倍もかかったことでした。(予算12.500.000.000,-ISK。コスト27.500.000.000,-ISK.。そのうちの資本は 2.000.000.000,-ISK。その他はすべて融資、つまり借金)*注* 1,-JPY = 1.45-ISK (2011年11月現在)

8月のカルチャーナイトのライトアップ風景。夕暮れ時の空の色に点滅するライトが美しく映える(撮影:Natsha Nandabhiwat)

本来であれば、2010年秋に完成する予定だったハルパは、こうして2011年5月に演奏することが可能な音楽ホールとして少しずつ体裁を整えて行きました。しかしその誕生は、行政側と一般国民の間に深い溝を残し、経済的、かつ政治的難産の末の出来事だったのです。 (後編につづく)



(2011年11月 J. Sakamoto)

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